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われわれタヌキは野生動物のなかでも、
神代のむかしからずっと、
人里の近くで暮らしてきました。
(よって里の近くで暮らすケモノという意味で「狸」と書きます)

ところが、明治末・大正時代の頃から、
人間界の津々浦々に明かり(電灯)が灯り始めて、(注1)
人間の暮らしぶりを我々は
つぶさに目にするようになりました。

すると、
これまでのように人間界のそばで暮らすよりも、
いっそそっちの側に行って人間に化けたまま暮らす方が
楽なのではないかと思うタヌキが増え始めました。(注2)
われわれは、そのようなタヌキのことを、
野生の「狸」と区別して、
人偏の「俚」の字をあてています。

しかし、戦争も終わり
人間界にやたらモノが溢れるようになってくると、
人間に化けた暮らしを続けることが
妙に生きづらく感じられるようになってきました。

同時に、
われわれタヌキやキツネに化かされる人間が、
1965年頃を境にして、
なぜか日本中から急にいなくなってしまいました。(注3)

かといって、一度人間に化けて、
ここまで同化してしまったわれわれは、
もうタヌキの世界に戻るのは容易ではありません。


そこでわれわれは、
この妙に住みにくくなってしまった人間界でも、
理想の社会を取り戻そうと、
なかなか社会変革の出来ない人間たちに先立ち、
われわれタヌキの独立国をつくることにしました。

独立国といっても、タヌキの世界の話です。

領土があるわけではありません。

政府があるわけでもありません。

それは、もともと自然界では当たり前であった
境界のない世界」を取り戻すにすぎません。

境界のない世界」とは、
領土のことばかりではなく、
人や動物も、
植物や虫けらも、
微生物や石ころもみな
同じ「社会」の構成員であるということです。

そうした大自然の無償の贈与のうえに成り立つ
生命の営みこそが
社会の土台であることに気づくだけで、
われわれは生きることがとても楽になります。

人工物や巨大なシステムばかりに依存せず、
しっかりと自然に軸足をおいた
月と運だけで勝負できるフォーラム型ネットワーク社会。

それが「月夜野タヌキ自治共和国」です。



          (令和四年秋、建国予定)





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(注1) 日本中の津々浦々に電灯が灯り出した頃、
それは明治の末、
大正天皇が皇太子であった時代から、やがて大正天皇の時代、
昭和天皇が皇太子、大正天皇の摂政、
さらに天皇になった昭和初期の頃までのこと。
若い皇太子や天皇は宮中で学んだ
知識ばかりに陥ることがないように、
盛んに全国行幸を行い、日本の実情に関する見聞を広げました。
(皇太子時代のそれは、行幸とは言わず巡啓と言います)
多くは、軍の演習にあわせての行幸でしたが、
天皇が地方に来るということで、盛んに鉄道や道路の整備、
電気、電信電話の整備普及が進みました。
そうした傾向は、現代でも 変わりませんが、
当時の行幸は、地方に劇的な変化をもたらしました。
おかげで、、日本の地方都市の電気の普及率は
イギリスやアメリカと比較して早く進んでいました。
 
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 家庭用電灯の普及率


(注2)狸の人間への同化ブーム                     
第一次ブーム:中
世、応仁の乱から戦国時代まで
戦乱の世が続くと、夫を戦でなくすばかりでなく、
農民たち、夫を待つ妻も多く命を奪われました。
夫を亡くした妻は、生きていくために、
時に人間に化けたタヌキとたやすく結ばれ、
妻を亡くした夫も、時に人間に化けたタヌキと結ばれ・・・・

第二次ブーム : 明治末から昭和初期
タヌキの活動は夜に活発になります。
それまで夜は暗いことが当たり前であったのが、
農村にまで電気が普及し始めると、
タヌキにとって明かりが気になるばかりか、魅力的な人間の暮らしぶりが
手にとるように見え始めたのがこの頃、



(注3
 内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』
                  講談社現代新書(2007)
転機は、1965年だった!