ホタルの鑑賞期間、1ヶ月あまり行燈を灯す作業をしていますが、
作業をしていると、ガイドという立場ではありませんが、
様々な人とお話しをすることができます。 

もともとなんらかの作業をしている方が、お互いに声はかけやすいものです。



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ここ月夜野のホタルを見に来る人は,
大半が東京、神奈川、埼玉などの県外からです。


とりわけ6月も後半になると、西や南の方のホタルのシーズンは終わるので、
北や東の鑑賞地を訪ねる人が増え、
自ずと首都圏からは月夜野が選ばれるようになります。

そうしたことにもよるのでしょうが、会話の内容も
ホタルの解説だけでなく、
どうしても都会と異なる農村独自の問題を話すことが多くなります。

今日も、神奈川や東京、埼玉などから来られた方と
長時間、お話させて頂きました。

そうした会話のなかで屡々でてくる話題が、
こうしたホタルの生息域の保護の仕方についてです。

今日、東京から来たという方は、
これだけの空間があるのなら、
ちゃんとお金をとってもっときちんと管理すればよい
といったようなことを言われてました。

もちろん、募金活動もホタルを守る会の人たちが行ってくれています。

でも、いまの日本中の農山村の実情を見れば、
観光で有名になった棚田やホタルの里の周りには、
耕作放棄地が急速に広がり続けているのが実状です。

いま農村の景観を支えてくれている高齢の農家の人たちの多くは、
経済性を抜きにして田畑を耕し続け、
また生態系のために減農薬や無農薬に手間を惜しまず協力してくれている人たちです。

これは産業化した農業で収益性を上げれば、解決出来る
といったような問題ではありません。

また行政がお金を出してくれれば、
必ずしも解決するような問題でもありません。

それは県外や国外に輸出する換金作物づくりではなく
子や孫の代にまで、ホタルやトンボが飛び交う自然景観のなかで、
日本人のお腹に毎日入る安くて美味しく安全な食物を
どうしたら取り戻していくことができるのかという問題です。

もちろん、これはいますぐになんとかなるようなことではないし、
いま、かろうじて維持してくれている農家の人たちに
これ以上のことを安易に求められるようなことではありません。

それにも関わらず、
遠い将来には必ず実現していかなければならない課題であることも
間違いのないことです。

また半世紀もしないうちに日本でも、世界でも
そうしたことはいずれ当たり前のことになることも確かだと思います。 





斎藤一人さんが次のようなことを言っています。


人には必ず“ひとつ上”というものがある。
そこに的をしぼって勉強していけばラクなんです。
で、それをやったら、また“ひとつ上”をやる。
これをやり続ければ、死ぬまで上に行くんだ。

 
私たちの行燈を灯す活動も似たようなものです。


田舎の農業問題、人口問題、老後の生活不安など、
今の世の中には太刀打ちできない難題ばかり山積しており、
政治的解決はなかなか期待できない現実を見ればみるほど、
誰もが途方にくれてしまう真っ暗闇のなかに生きているようなものです。

そのような一見真っ暗闇のような現実にいるのですが、
目の前の課題にとりあえず集中してそれを解決して、
階段を一つ上がると、新しい視界がひらけて
その先にまたひとつ、小さな明かりが見えてきます。

その見えたほのかな明かりを頼りにまた頑張っていると、
ひとつ階段を上ることができて、
さらに新たな視界がひらけて次の明かりが見えてきます。


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もちろん、ただ頑張っていれば必ずなんとかなるような甘い世界ではありません。
でも、結論や効果を急いで何か大きなことに期待するよりは、
目の前の小さなことからひとつひとつ積み重ねていくことが大事だということです。

これまでも、行燈の仕様は何度も作り変えてきました。

室内用だったものを屋根をつけて全天候型に変えたり、

光源をロウソクから様々なLED照明に変えてみたり。

固定方法を変えたり・・・

歌や物語の選定を変えたり、

デザインを変えてみたり。

伝え方、話し方を変えたり、

ホームページ、ブログ、リーフの表現を変えたり・・・


ですが、私たちは必ずしもこの行燈の飾りを灯すことで
ホタルの鑑賞がちょっと楽しくなることだけを最終目標として
日々の活動を行っているわけではありません。

月とホタルのほのかな明かりの力を借りて、
人間と自然の生命力を取り戻していく手がかりを探すような
まだ先の長〜い活動の入り口に立っているにすぎません。


どんなに政治力があっても、
予算があっても
この積み重ねを怠ったところで作られるものは、
結局、はかなく脆いものでしかないからです。

したがって、プロのデザインによる
しっかりした行燈を買ってきたのでは意味がありません。

またすべて自動点灯する行燈にしたのでは
意味がないのです。

確かにこの小さなほのかな明かりの力は、
とても頼りなく見えるものです。

でも、その明かりこそが、
暗闇の中で確実に心を暖めてくれるものであり、
その先の確かな道しるべとなってくれるものと信じています。

誰でも世の中、暗いよりは明るい方が良いに決まっています.

確かに地球上では、光あってこその影が常識の世界ですが、
漆黒の闇の世界宇宙では、闇こそが日常の風景です。

燦然と輝く太陽でさえ、宇宙のなかでは、
数多輝く星々のひとつにすぎません。

でも、私たちは、その一点の星の輝きである、
ほのかなひとつの明かりだけで、

方向を知ることができたり、

次の一歩の手がかりになったり、

ひとつの自信につながったり、

将来への希望になったりするものです。


夜は、何もすべて昼間のように明るくする必要はありません。

ほのかな小さな明かりがあるだけで十分です。

行燈をつくり点灯作業をしているとそんなことを感じさせてくれます。



行燈を製作して点灯する作業は、
まだこれから先もずっと試行錯誤を続ける長〜い活動です。

この活動は、10年くらいかければかなりのカタチにすることは
間違いなく出来ると思っています。

でも、そのくらいでは、
まだゴールにたどり着いたといえるレベルにはなれないと思います。
おそらくうまくいって20年くらいはかかるでしょう。

私の関われる範囲として考えれば、ちょうどいいスパンです。

なので、
どうか皆さんの気長なご協力とご理解をお願いいたします。


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#月夜野ホタルの里