「月夜のタヌキ」プロジェクト

物語のいでき始めのおや 〜月夜野アーカイブ〜

「物語のいでき始めのおや」とは、竹取物語のことを指した源氏物語のなかにあることばです。私たちは、「月(ツキ)」と「運」だけで勝負できるこのまち月夜野に、たくさんの物語を育てていきます。2016年、月夜野が日本百名月に登録されたことを機に、みなかみ〈月〉の会を結成しました。

2016年01月

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少し薄雲がかかっています。








さびしさに堪へたる人の         

またもあれな庵ならべん冬の山里

                西行


 

寒空に月夜野で月をながめていると、こんな感じかな。 


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今年は、雪が降らないまま春になってしまうのかと心配していたら、
数日前から一気に雪が積もりました。

大打撃を受けていたスキー場も、ほっとしたところでしょうが、
これまでの損失を取り戻せるわけではありません。

さらに週末は数十年に一度の記録的な寒波が近づいているようです。
特徴的なのは、北海道の稚内から九州の福岡が同じレベルの寒気につつまれること。

寒空を極めた満月をみることになりそうですね。


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1月5日頃から立春の前日にあたる節分までが「寒」の時節というようです。

1年で最も寒いこの時期の水は腐りにくく、いるまでもやわらかいといわれ、
昔から酒や醤油の寒仕込みに使われてきました。
和紙なども、寒の水で漉くと張りのあるよい紙ができるとされています。

私がむかし住んでいたことのある南魚沼市あたりでは、越後上布を
この雪の上にさらすことで白さを増す。

鈴木牧之の『北越雪譜』のなかに、
「雪中に糸となし、雪中に織り、雪水にそそぎ、雪上に晒す。
雪ありて縮あり、されば越後縮は雪と人と気力相半ばして、名産の名あり。
魚沼郡の雪は縮の親といふべし。」
とある。

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雪晒しは、絹織物には出来ず、麻織物ならではの作業です。

残念ながら、私がそこに暮していた頃は、そうした風景を見ることはできませんでした。

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.529107913924390.1073742207.178942585607593&type=3

幸い今年は、原油価格の下落が続き、灯油代は昨年の半額くらいにまで下がっています。

でも、−5度を下回るようだと、ストーブ一台ではなかなか部屋も暖まりません。

こういう時こそ、芯から暖まる薪の火が欲しいですね。



多数決の発想を優先しない地域づくりについて

100人全員、または大半に支持され理解される企画や活動は、正しいかもしれませんが、どこにでもある内容になってしまいがちで、得てして感動を呼ばないものです。行政主導企画に多くみられる傾向。

それは「花と緑のまちづくり」とか「ふれあい交流館」といった表現になってしまうものです。

これは、量販型で右肩上がりの時代には通用したやり方。

ここから飛び出したアイデアや活動は、公的機関がからむとなかなか承認されにくいものです。

かたや100人のうち数人にしか支持されない、理解されない活動。
そらはたとえ少数派であっても、また多数に理解されないものであっても、数人の理解者は、感動を条件に遠くからでもやって来ます。

100人のうち1人しかいないようなファンが全国、百カ所から集まれば、100人の市場をつくりだします。

それが形になり出すと、やがて残りの99人も寄ってくる。

多くの場合、こうしたことのほとんどは、
行政がらみではなく、民間で個人がリスクを背負ってやる方が 結果を出しやすいものです。
なかば、そのほうが正しい選択なのではないかと思っています。

でも、この尖ったものは、そのまま多数に理解されなくても、
どれだけ「許容」してもらえるかが鍵だと思います。
 

1、月夜野妄想倶楽部が考える50年後の「教育」



 今の学校教育にいろいろと疑問を感じている人も多いかもしれませんが、ではどのような教育の姿であれば良いのか、私たちは将来の具体的ビジョンについてはあまり聞くことがありません。

 不登校の問題や教育格差の拡大、なかなか変えられない受験特殊技能教育の弊害や国際競争力の低下、等々。

 現場の先生方も親たちも、今の課題に追われるのに精一杯で、将来のあるべき姿までは考える余裕がないばかりか、考えてもそれを実現したり変えたりする権限がないからと、すぐにあきらめてしまっているようにも見えます。

 では、私たちが、何の権限も保証もないけれど、理想として考えられる将来の教育の姿がどのようなものであるのか、そんなの妄想にしかすぎないとバカにされようが、まずは想像力を働かせて考えるだけ考えてみることにしましょう。


  一人でみる夢はただの夢にしかすぎないが、みんなで見る夢は現実になる。(ジョン・レノン)




 まず
環境の変化で一番顕著な影響を及ぼすのは、ネット環境の普及浸透であると思います。

 日常のあらゆる場でネットへのアクセスが可能になることはすでに確実になっていますが、知識・記憶学習の領域が教育に占める割合は、相当減るものと思われます。

 もちろん、どんなにネットですぐに調べられるとはいえ、個人の頭の中により多くの情報が入っていることは、どんなコンピューターにも勝る効果があります。
 ですが、その情報とは、今以上に加速的に膨大なものになるので、哲学や論理学的な問題の整理の仕方は重要性を増すかもしれませんが、従来のような誰もが同じ教科書で知識を習得する必要性は確実に薄れていくことが予想されます。

 するとその先に考えられるのは、    

 ①、従来の学校に近いものは小学校のみで、そこでは読み書き・計算と体づくり・掃除力が徹底される。


 ②、ネット環境が日常生活に浸透しているため知識習得型の教育は圧倒的に減る。
    自動翻訳技術なども浸透するため、クローバル化時代だからといって英語教育などを優先する意味が
   なくなり、基本の国語教育がより徹底されるようになる。

 ③、中学以降は自主教育が中心
。子どもが興味を持ったことがらを無限に学べる環境が整う。

    教師の主な役割りは、既存の知識を教えることではなく、子どもの興味関心を育て引き出す
   コーディネーターとしての面が重視されるようになる。

 ④、「学歴」には意味がなくなっているので、個人ごとの「学習歴」で人物をみるようになる。


 ⑤、個人ごとの学習機会が拡大すると同時に、異質な者同士が交流し学び合う意義も増大する。
    民俗や習慣の差、体力や知識の差のある者が同じ空間で学ぶ効果が認知される。

 ⑥、大学や専門学校に該当する分野が、社会人教育と連続的な過程になる。
    働きながら学ぶ学生の比率が青年期から社会人まで 、圧倒的に多くなる。


 ⑦、既存の学校よりも、図書館やバーチャル空間に学びの場が広がる。
    教科書の依存度が圧倒的に低くなるので、あらゆる空間で得られる「本の海」に埋もれた学びの環境が
    中心になる。 

 ⑧、資格を持った教師以外の様々な分野で活躍する専門家が多数、講師として登録・活用される。

 ⑨、教育の完全無料化の方が、社会のためにはトータルコストが安いと立証される。

 ⑩、子どもが育ち成長する自然環境が重視され、都会の学校であっても森が不可欠の空間となる。
     森の学校、山の学校、川の学校、海の学校、田んぼの学校、等々。

 ⑪、学びの場が、地域のあらゆる場所で保証されているので、不登校はまったくハンディではなくなる。

 ⑫、小学校の読み書き計算、体づくり以外の教育課程は、これまでの中学校であろうが、高校であろうが、
   大学であろうが、社会人になってであろうが、いつでもどの段階のカリキュラムでも、学ぶ機会を
   得られる。大半の授業は録画され、誰もがいつでも見れる。


 などなど、思いつくことをあげましたが、まだ気づいたことが出次第、書き足していきます。

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