「月夜のタヌキ」プロジェクト

物語のいでき始めのおや 〜月夜野アーカイブ〜

「物語のいでき始めのおや」とは、竹取物語のことを指した源氏物語のなかにあることばです。私たちは、「月(ツキ)」と「運」だけで勝負できるこのまち月夜野に、たくさんの物語を育てていきます。2016年、月夜野が日本百名月に登録されたことを機に、みなかみ〈月〉の会を結成しました。

2015年12月


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太陽暦では、大晦日。

天文的には、あまり意味のない日が1年の節目として定着してしまいました。

でも、不思議とこの時期の空気は、とても澄んだものを感じます。

記憶の刷り込みによるものもあるかもしれませんが、年末にベートーベンやワーグナーを聴く機会が多いせいか、スケールの大きな音楽がとても深く自然にこころに入ってきます。



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年のはじまり、月のはじまり、1日のはじまりのこと

http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/a6cd7eee2428ed18e62d5ab98d5cc637

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月と木星が接近してましたが、写真には写せませんでした。

ここ月夜野は、日本海側気候と太平洋側気候の境目なので、初日の出の雲行きが怪しいときは、南へ南へと移動すれば、なんとか見れることが多いものです。

日の出の東方向に雲がある確率が高いそうですが、今年も実力勝負でいけばなんとかなるでしょう。

 

今日は十五夜とクリスマスが重なるので、世間の華やかなイルミネーションとは別世界の
満月の明かりのもとでの十五夜の祝いを名胡桃城址で行えたらと思っていました。

ところが、大河ドラマ「真田丸」にあわせた城址整備工事が続いており、
本日ようやく竣工式で29日から一般公開がはじまるとのことで、
名胡桃城址を使うことはできませんでした。

ほんの数日の差ですが、
戦国の時代考証を意識しても、月暦まで考慮するのなどと期待することは出来ません。

この満月の日にあわせて完成させたんだと、
陣幕でも張ってかがり火をたいて夜の竣工式でもできたら最高でしたけどね。

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月夜野には、谷川岳から風で飛んでくる雪がちらついていますが、
お月さまは、薄雲に負けずしっかりと出ていました。


私の住んでいる月夜野というまちで、太陽やアマテラス偏重の世界観に対する、月の復権、旧暦の復権、ツクヨミの神の復権、夜の復権などいろいろ考えているのですが、その歴史的な意義には、とても深いものがあると思っています。ところが、なかなかそれを完結にうまく表現できません。


何度となく、考えていること、思うことを書き続けて練り込んでいくしかありません。
以下は、そうした作業のひとつです。
未整理な文章、ご容赦ください。 

 

 

これまでの「生産と消費」にばかり流される昼の時間をこれ以上増やすのは、「酸化」を促すプロセスです。
カラダによくありません。

この「生産と消費」に偏った世界観が今までの常識でした。
それは多様な価値軸を否定して、太陽=アマテラスを頂点にしてカミや人に序列をつけたがる側の人たちの世界観です。

天皇家に対する藤原氏のように、成り上がりの側が必要とする権威付けの論理です。
勝者と敗者をわけたがる人たちの世界です。 

 

かたや「創造と育自」を軸に夜の時間を重視する私たちの活動は「還元」のプロセスです。
働いても疲れない弱アルカリ体質の世界です。

それは、夜=月=ツクヨミの復権とともに、たくさんのモノサシを使い分ける世界なので、所属にとらわれない個人のネットワーク型の社会です。


わたしたちは、単に月=ツクヨミだけの復権を願ってるのではありません。
考えているのは、カミや人に序列をつけない「八百万神」「天円地方」の思想です。
権威を必要としない側の論理です。 

「生産と消費」が悪いと言っているのではなくて、「生産と消費」以外の時間を限りなく押しやって排除してくような従来の一元的価値観が異常なのではないかという立場です。

夜は暗いから、ただ電気をつけて昼のように明るくすることが解決なのだとは思わない立場です。

夜には夜の魅力と、夜ならではの役割りがあるのだという見方なのです。

古来、夜こそが、さらには満月の夜こそが、大事な祈りや行事のときでした。

さらには、夜こそが子づくりを中心にした生命創造の時間でもあります。

精神的な営みの多くは、夜や早朝にこそパワーを発揮します。

つまり太陽の出ていないときです。

売れない時代に今なお「生産と消費」にしがみつく人々は、この夜の時間の創造性や生産性を理解しません。 

生産性は昼の拡大でしか実現できないものと思い込んでいます。


「生産と消費」が中心でなくなったら、どうやって食っていくんだとも言われそうですが、「創造と育自」を重視する人の方が自分を育てる生産手段を真剣に求めるので、結果的にこのほうが市場は拡大します。


従来の商品をいかにして売るかではなく、創造にこそ軸足をおくので、無理な営業には期待しません。


もちろんそれは量販型ではない市場になりますが。

「◯◯が売れないから市場の拡大をどうしたら出来るか」のこれまでの対策では、太刀打ちできない社会がすでにはじまっています。

国や業界や会社や組織に何か求めるのではなく「育自」=「自分を育ててプロデュースすること」抜きには、何も解決できないことがようやく認知されだしてきました。

事実わたしの業界でも、商品としての書店店頭の本をより多く消費してくれるような読者家よりも、
自分の専門を持ちその必用に応じて読書を手段としてしている人の方が、
結果的に、自称読書家よりは多く本を読んでいるものです。 

また、多くの学校へ行き、多くの資格を取得している人よりも、
人生に迷い、その都度突破口を求めて試行錯誤を重ねている人の方が
多くのことを勉強しているものです。

 

人口減少時代に入ってモノが売れない時代はこれからもずっと続くと思いますが、

「生産と消費」の拡大を願うのではなく、

「創造と育自」の時代に入っていくということが想像できれば、

市場の縮小自体はそれほど悲観することではありません。

むしろ人口6,000から7,000万人くらいの超大国以外の先進国標準サイズに日本がなること、

高度経済成長期以前の国土の姿にまで戻して、テクノロジーや知恵を行かせる社会になることは、

とてもすばらしいことであると思えるのではないでしょうか。 

 

 

先に他の場所で、年末の掃除の意義について書きましたが、

掃除を自分ですることの意義は、この「育自」、「自分を育てること」
育ててもらう「育児」が終わってから
さらに、教えてもらう「学校」が終わってから、
本来は、生涯続けなければならないはずの大事なプロセスに気づけることにあります。 

わたしは、それはどんなすぐれた専門学校や大学より、
生涯にわたって自分で組み立て続ける「読書」こそが、
一番の「育自」になるものであると確信してます。 

なにか現状打開のいい考えありますか?と人に尋ねるばかりの生き方ではなく、

その都度、その都度、自分で探し求めているプロセスそのものが、

幸せの時間であり、自己実現の瞬間であり、

さらにはそれが新しい市場を生んでいる瞬間なのだと思います。 

 

それを太陽やアマテラス偏重の世界観に対する、

月の復権、

旧暦の復権、

ツクヨミの神の復権、

夜の復権

を通じて立証していきたいのです。

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(以上は、brog「かみつけ岩坊の数奇、隙、大好き」の「『生産と消費』偏重の時代から『創造と育自』の時代へ」を改題し転載したものです。) 

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谷川岳から雪が飛んでくるほどの陽気ですが、月はしっかり出てました。


この季節は新酒が次々と出てきます。

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陶芸家の松尾昭典さんに、念願の盃をつくってもらいました。

ぐい呑みのカタチではなく、ふちの浅いかわらけタイプのものです。

とても良い色合いに仕上がったので、酒の味も格別。


松尾昭典 http://kamituke.web.fc2.com/page152.htmll

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この盃に月を映して呑みたいものですが、暗いところでの撮影は難しいものです。


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昨日の議論。

人口が減少するからといって、空家バンクの情報を出したり、雇用増の対策だけで問題が解決するわけではないですよね。
地域に仕事がないから、人口の流出が止まらないのだとよく言われます。
でも、企業誘致で雇用の増加を期待することが、結構リスクの多いことであると気づきだしました。

また、いまここにある産業を復活させたり、再生する力のないところで、よその何かに期待しても、強い地域は生まれないことも明らかです。

また、地域を支える道普請や堰番などの活動は、サラリーマン家庭ではなかなか出来ない場合が多いものです

かつて農業人口が8割を占めていたときのように、地域で働く自営業者、個人事業主が増えないと、年金生活者ばかりが都会から田舎に来ても、また賃労働者ばかりが増えても、地域の活力はなかなか生まれません。

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世の中の働き方が変わり始めている現象は、まだ不安定化といったマイナスの方向ばかりが目立っていますが、ひとつの会社や業種の仕事だけで生きて行くのではなく、自分が自分の生き方を組み立てるように、自分の働き方を組み立てて行く時代に少しずつ向かっているような気がします。また、そうなることを願ってます。 

これまでブログで時々書いて来たことを、ひとつの企画として提案してみたいと思っています。

それは、このブログのカテゴリーとしては「月夜の妄想倶楽部」の内容のことです。



科学技術の進歩めまぐるしい現代で、50年後の未来像なんて、はたして私たちは想像することができるのでしょうか?

いまの私たちは10年先ですら予測のつかない時代に生きています。

でも、次のようなことを考えてみると、50年くらい先のこの地域の姿を一度考えてみるということが、とても意味のあることと気づきます。
 
それは、月夜野の景観のなかに電柱のない風景を取り戻す提案のことです。

いま日本で1km無電柱化するには3.5億円かかるといわれてます。
つい最近、日本の遅れた無電柱化の進捗率のことが新聞記事に出ていましたが、世界のなかではとても遅れているレベルであると言わざるをえません。それでも、一昔前に比べたら、高崎市や前橋市、渋川市といった地方都市のレベルでもある程度進んで来た印象はあります。 

これを月夜野の田舎で電柱の地下埋設など行政に持ちかけても、とんでもないと一蹴されるだけしょう。

でも、もし50年後の月夜野を想像してみるならば・・・


おそらく日々目にする景観のかかに電柱のない状態は、
当たり前になっているのではないでしょうか。
 

今すぐには高額な予算がかかったり、そんな費用をかける意義があるのかなどと広い理解が得られないようなことであっても、50年くらいのスパンで考えてみれば、

①、日本の高額な地下埋設費用の異常さに気づき、技術的にもコストダウンの方法がみつかる。
 
②、エネルギーの各家庭での自給や地産地消が進み、送電線を延ばす必要性が減る。

③、電気および電気以外の省エネルギー技術が発達する。 

などの変化が起こり、今の私たちには想像もつかない技術も現実化されていると思います。

一度、こうした未来が確実にやってくることがわかれば、今提起しても相手にされないような課題であっても、そこに至る道すじや段取りは格段につかやすくなるものになるのではないでしょうか。



今の条件で考えたら、とても想像することもできない、ありえないような現実がいつの時代でも、未来には現実になっています。

まちづくりのテーマや目標を決めるにあたって、安易な言葉探しにとどまらず、具体的な未来像を考えるために、一度50年くらいのスパンの未来を考えてみてはどうでしょうか。

景観十年、風景百年、風土千年と言いますからね。



私たちが子どもだったころ

 それは東京オリンピックの開催とともに、高度経済成長へ突き進んでいった時代でした。
 そのころの私たちに現代の世の中の姿が想像できたでしょうか?
 
 今思えば、「未来=輝かしい科学技術の世界」として明るい未来を信じてましたね。


今の子どもたちが50年後の未来を想像したら、
 はたして、現代のテクノロジーに浸かった子どもたちは、そのような未来を想像するのでしょうか。
 われわれの時代よりは、科学技術偏重ではない未来像が考えられそうな気がします。



今のわれわれの世代が50年後の未来を想像したら 、
 それは、私たちが生きている間に、ぎりぎり目撃できるかもしれない未来です。
 もうそんなに生きてはいられないかもしれませんが、私たちがいまの子どもたちに約束する未来は
 考える価値はあると思います。
 それでも、今では考えられないような世の中を生きているであろうことは確かです。




以上のようなことを一度、文章や絵画、小説、アニメ、ジオラマなどによってそれぞれの世代が表現してみる企画として提案してみようと思っています。

戯れのような作業ですが、地域が自立するには、夢の自給率も上げておかないといけません。
 

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