これほど現代に強烈な問いを投げかけている本もないのではないだろうかと、改めてその価値を感じる一冊です。

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#緒方正人
#チッソは私であった

水俣でチッソと先頭に立って闘い続けてきた著者が、そこには「責任主体としての人間が、チッソにも政治、行政、社会のどこにもいない」ことにことに気づく。
そこにあったのは、システムとしてのチッソ、政治行政、社会にすぎなかった。
システムというものは、およそ責任を引き受けようとしないから、やはりそこは、一人の人間が向き合っていくしかない。
その一人の人間というのは、システムからは離れた自然の生命と繋がるところから始める以外にない。

安全、安心のために、マイナンバー、薬やワクチン、ガードレール、防衛軍事力、規則やルール、AIシステムなどで、どんどん人間が要らなくなっていく時代に、人間主体はどこに求められるのでしょうか。

戦争でも、環境問題でも、経済不況であっても、加害者、被害者の構図を乗り越えて、自分一人の生命のよってたつところを引き受けてることから始めるしかないのだと。

まさに、これはわたしたち #月夜野タヌキ自治共和国 とまったく同じ立場です。

JAL123便の墜落事故の後、被害者遺族たちが、横の繋がりをつくり始めたとき、損害賠償交渉をその組織の目的に入れないとした時から、徐々に、一人ひとりの人間がどこを目指していくのか、「権利の闘争」よりも大切なことが少しずつ見え始めています。