毎年この時期には、旧暦を重んじるわれわれ月夜のタヌキ会議としては、西暦(太陽暦)の割り算で機械的にはじき出される午前0時をもって、一年、一日の始まりとすることの理不尽を感じています。

どう考えても、太陽暦であれ、月暦であれ、天文上の暦からしても、あの秒針(もしくはデジタル表示)が、夜中の午前0時を指した瞬間が1年や1日の始まりとする意味は乏しいのです。

古来、一日の始まりは、日没からであったり、日の出からであったりするのが自然な感覚で、夜中の0時というのは、正確な時計が庶民に普及するまでは、なんのリアリティもない瞬間だったはずです。
(その辺のことは、「一日の始まりと一年の始まり」として以前に書きました)

でも、かといって、ではいつが一年の始まりになるのかというと、旧暦の側でも必ずしも決定打があるわけではありません。

日付で言えば、2020年の場合は、旧暦の一月一日は、西暦の1月25日(土)となります。
この日が私たち月暦(旧暦)を尊重する者の間では
「明けましておめでとうございます」という日になります。
これも、まわり中から新年の挨拶が来る最中に、うちは違うよなどと言ったところで、ただ失礼なだけなので、世間様の常識には一応お付き合いしながらの話です(笑)

しかし、他方、自然界の1年の周期で考えると、
太陽のエネルギーが最も弱く高さも低くなる冬至の日こそが、1年の始まり(起点)と見ます。
あるいは、立春の日(2020年2月4日)が1年の始まりとも言えます。

また、月の周期からすれば、先の旧暦1月1日(新月・朔)の日を重視するのとともに、その月の満月の日を小正月としてより盛大に祝う習慣があります。
事実、多くの伝統行事は小正月の方がむしろ多いくらいです。

そんなゴチャゴチャいうなら、今の西暦の1月1日でいいじゃないかと言われるのがおちなので、私たちは常に無理にどうあるべきかを強要する立場にはありません。
ただ、ひたすら西暦の1月1日午前0時という瞬間に、天文上の意味はあまりないのだと言いたいだけなのです。

そして、そこでつかれる除夜の鐘も、元々は禅寺の中だけで行われていた習慣が、昭和になってラジオが普及したのをきっかけに全国に普及したという歴史の浅いものだということも知っていただきたいだけなのです。

IMG_2335

除夜の鐘が全国に普及した由来は諸説あるようですが、

昭和2年にNHKラジオの『除夜の鐘(現:行く年来る年)の番組で、
上野の寛永寺に頼んで除夜の鐘として生中継したという説、
また近所の寺から借りてきて、それをスタジオで鳴らしたという説もありますが、
いずれにしてもラジオ番組が契機となって
全国の寺院が取り入れるようになったようです。

逆に、その頃は、ラジオで除夜の鐘が知れ渡ると、
この寺では除夜の鐘はつかないのかと聞かれ、
うちは時の鐘をついているからつきません
と答える寺もあったようです。


1分1秒を大切にする現代人には、デジタル時計で刻まれる時間こそが大事であるというのは、ごもっともなことで、なんの反論の余地もありませんが、現代の習慣が意外と歴史は浅いものだということだけは覚えておいてください。

それで、自然界のリズムにできるだけ寄り添って生きていきたい私たちの側は、除夜の鐘にお付き合いする場合でも、ひときわ煩悩の多い側にいるので、仮に皆さんと一緒に除夜の鐘をつき始めたとしても、真面目に考えていたらとてもその煩悩の数は百八程度でおさまるものではありません。

おそらく百八の煩悩というのは、きちんと修行した方々の言う数で、私たち凡人はおそらく数え出したら朝までかかるくらいの煩悩を抱えていることと思います。

だからちょうど思いつく限りの煩悩を数え切った頃に、東の空にご来光を仰ぐことができて、めでたいめでたいとうことになるのです。 


ここまで私たちがゆる〜い形でありながらもここにこだわる理由は、古来、日本人の良いところは、古いものを完全に否定せずに、古い文化の上に新しい文化を積み重ねるようにして歴史をつくってきたという特徴にあります。
仮に敵の側のものだとしても、それを敬い、最後には祀るという発想です。

それが明治維新のときだけ、勝てば官軍という言葉にも象徴されるように、古いものを完全否定することで新しいものを強引に押し付けるやり方をしました。
新しい国家をつくるのだから当然というかもしれませんが、それまでの日本社会は、戦国の世でさえも敵は敬い、なおかつ相手の心の習慣にまで干渉することはありませんでした。
明治維新では、廃仏毀釈に限らず宗教や生活習慣の暦まで、強引に変えてしまいました。

私たちは、なにも旧暦の方が正しいと言っているのではなく、太陽も月もそれぞれに意味があり、決してどちらか一方だけで済まされるものではないということ、西暦の合理性も大事ですが、旧暦があらわす生命のリズムも失ってはいけない大事な価値があることを伝えたいだけです。 

ネットの力などで、世界がどんどんひとつにつながっていく時代です。
異文化をつなげる共通の物差しのようなものが発展することも不可欠ですが、それぞれの国や民族が、同時に交換し難い独自のものを大切にし保持し続けることの意義も、これから一層増していくはずです。

大晦日のカウントダウンも確かに楽しいものです。

でも、私たちは、除夜の鐘が煩悩の数を叩いている時の経過をボヨヨ〜ンと感じながら、デジタル時計とは別の価値観の時間というものも大切にしていきたいと思っています。



では、世間の皆さま

どうぞ良いお年を。
 


IMG_3718