地元では、月夜野の地名由来として、源順が東国巡業のおりにこの地をたずね、三峯山からのぼる月をみて、おお良き月よのう、とつぶやいて歌を詠んだことによるとの伝説が伝えられています。

しかし、源順がこの地を訪れた記録があるわけではありません。
なぜこのような伝説がうまれることになったのでしょうか。


地名由来 ② 「名胡桃」 ウラ

源順の個々の限られた歴史事実をみていくと、以下のような伝説が生まれてきた背景が浮き上がってきます。


① 源順が、日本初の百科事典ともいえる和名類聚抄を編纂した際に、全国の地名、風物などを調査しており、そこに利根郡や呉桃の記載があることから、 東国巡業としてこの地にも来ているのではないかとの推測がなりたった。
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② 近世にはいると三十六歌仙へのあこがれが庶民の間 にも信仰として広がり、大河内躬恒(おおしこうちみ  つね)が三峯神社の縁起書に取り入れられたように、 源順も人気にあやかりこの地へ関連づけられた。
 (三峯神社をめぐる凡河内躬恒と源順については「月夜野百景リーフ レット「物語のいでき始めのおや」をご参照ください)
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③ 源順には『竹取物語』の作者説もあります。  
かぐや姫が月にかえるときに帝に不死の薬を渡すも、 帝は姫のいないこの地では不要と富士山(不死の 山)で燃やしてしまったことが、近世に普及した富士浅間信仰につながり、名胡桃城址の南にある荷鞍山  (俗称フジヤマ)にもそうした信仰が伝わってきたこ とに相関して生まれた可能性。

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竹取物語の作者として名前の上がってる人物(関根賢司『竹取物語論 神話/系譜学』より)

(A)、源順説(小山伯鳳・武田宗俊)
(B)、源融説(五十嵐政雄・吉川理吉)
(C)、遍昭説(岡一男・神田秀夫・鬼束隆昭)
(D)、紀長谷雄説(三谷邦明・三谷栄一)
(E)、反天武帝側の人物、大友皇子の一族かその縁者、僧侶階級か学者(三谷栄一)
(F)、忌部氏(新井義雄)、斎部氏関係の一族(塚原鉄雄)
(G)、漆部のながれをひく人物(阪倉篤義)
(H)、賀茂氏・賀茂峯雄(原国人)
( I )、春澄義縄説
(J )、石ノ上ノ文麻呂説(加藤道夫)
(K)、くらもちの皇子説





以上いずれも推論ですが、源順との不思議な縁が、月にまつわる壮大なロマンをこの地にかきたててくれます。




源順みなもとのしたごう
   延喜十一~永観元(九一一ー九八三)

三十六歌仙のひとり。
若くして博学をしられ、二十代のころ、『和名類聚抄』を編纂する。
万葉集の難解な萬葉仮名を清原元輔、大中臣能宣、紀時文、坂上望城とともに訓点作業を行い現代にいたる万葉集普及の礎を築いた。
家集『源順集』がある。
漢詩文にもすぐれ、『宇津保物語、』『落窪物語』の作者にも擬せられるほか、『竹取物語』の作者説もある


注 訓点作業
 平安初期、内裏の女御たちによって万葉仮名の本文白文の傍に仮名の訓をつけられたのを「古點」という。
また同時代後期に源順らの歌学者によってなされたのを「次點」と呼ぶ。
続いて鎌倉時代になり天台宗僧侶の仙覚が万葉集校本を作ったのを「新點」という。





以上は、「地名の由来と風土 ② 名胡桃」(「月夜野百景」リーフレット Vol.8)の内容に注釈など加筆したものです。


地名由来 ② 「名胡桃」 オモテ