月暦(旧暦)でいう月の始まりが、月の見えない新月の日からというのは、何らかの形の月の姿が見えるわけではないので、日ごとの変化を追っていない限りなかなかその日を確定することは私たちには難しいものす。

どうしてこのようなわかりにくい仕組みになっているのか、今ひとつ理解できませんでした。

事実、中東の国々では、月の始まりは最初に月が見えた日としているようです。
ただしそれは、天文学的に月が最初に出る細い月の一日月や二日月ということではなく、最初に肉眼で月を確認することができた日ということらしいのです。

したがって、うっかり約束しようものなら大変なことになります。

来月の四日に会おうなどと言っても、三日になろうが四日になろうが、ずっと曇っていて月はまだ出た日がないので今月は始まっていない、などといったことが起きてしまいます。

さらに砂漠の大地であれば、気候の地域差は少ないかもしれませんが、山岳部にもなれば地域によって月の見えた場所、見えなかった場所などもあり、また大変なことになってしまいます。

これは極端な例に見えるかもしれませんが、そもそも暦は古来世界中で様々なスタイルのものが使われており、現代に至っても必ずしも太陽暦、グレゴリオ歴は地球上の人口比率でみればどこでも世界標準として通用するとは限りません。

それだけに、月の始まりや一年の起点をどこに求めるかという暦の問題は、人類史を通じて考え続けてきた深い歴史があります。

そこでもう一度、月の始まりがまったく月の見えない新月なのかということを考えると、ただ月の満ち欠けのサイクルの起点という見方だけでは見落としてしまっているもう一つの大事な側面に気づくことができます。 

それは、新月というのは、月が見えないこと、すなわち太陽と月が重なっているということです。

一ヶ月の周期でお日様とお月様が再び巡りあい重なる日なのです。 

新月=月の始まりに日の出を見るときは、私たちはそこに見えない月も同時に見ているのです。


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ここには、巡り会うという意味と月と太陽のエネルギーが重なり、地球への重力エネルギーが最大化する日という意味があります。

ここにこそ、新月がひと月の始まりにふさわしい意味があります。

古来、石器時代、縄文時代から月や太陽の出る位置、沈む位置は人々が注意深く見続けていました。 

おそらく月と太陽の運行こそを注視していた古代の人々にとって、月と太陽が一ヶ月の周期で巡り会うとき、エネルギーも最大化していることなどは体験的に現代人以上に熟知していたのではないかと思われます。 



ちなみに月暦で 
2月 如月、新月・朔(2019/03/07)の月夜野での月の出時刻は、6時38分。
                   同日の日の出時刻は、6時16分。
 日の出の太陽のすぐそばに、見えないお月様が一緒にいるのです。 




先月、志賀勝さんが月夜野に見えられたときには、こうしたことを最近発見した事実として月の出時刻、日の出時刻が一致する新月のときについて詳細に話してくれました。