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持谷靖子さんの『歌うたい旅から旅へ』上・下 (みやま文庫)を読んでいたら、四万温泉に「月見橋」があることを知りました。

四万温泉にはこれまで何度も行き、また通っているのですが、これまで橋の名前を特に意識することはありませんでした。それが、持谷さんの「月見橋」の表現を見たら、現場を確認せずにはいられなくなり、すぐに行ってみることにしました。


かねてから持谷靖子さんは、地元で与謝野晶子や若山牧水そして地域の民話や民俗習慣など、とても熱心に研究されている方であるとは知ってはいました。ところが、私は本書の文章を見るまでは、失礼ながらとても研究熱心な方がいる程度にしか、持谷さんのことは理解していませんでした。

それが、初めて持谷さんの文章に触れじっくり読んでみたら、ただの郷土史家などの単に詳しい知識を得ているレベルではなくて、群馬県全域にわたってその歴史や風土に関して極めて的確な知識や理解を得ているばかりか、与謝野晶子の研究においても、ありていの文学研究者の叙述ではなく、おそらく持谷さん自身の生き方と多分に重ねながら、実に背骨のしっかりとした捉え方をされていることを知り驚きました。

そんな著作の中の四万温泉の章のなかのひとコマとして「月見橋」について書かれていたのです。

もともと月に関する話題であれば、なんでも飛びつくたちではありますが、持谷さんの叙述を見たら、どこであろうがすぐに現地へ飛び確認せずにはいられなくなりました。

そんな経緯もあり、このたび四万温泉へ改めて行ってきました。




月見橋ここに着たりて人間も泉も融け合へるかな
                 与謝野寛



月出でぬ川に迎える岩根湯の廓に裸の人あまた立ち
                               与謝野晶子



「月見橋」などというものは「月見〜」の類で、おそらく全国各地にあるのではないかと思われますが、ここ四万温泉の月見橋は、山奥の温泉地で月が谷間で観れる時間自体が少ないことだろうに、山の上の月と川の水面に映る月が両方見れる橋として名乗っているのです。

もっとも、ほとんどの月見何とかは、中世貴族の間では、池や川面に映る月こそが見る対象であったわけですが、それにしてもこの四万温泉の狭い谷間で、川面に映る月と山の上の月を同時に見れる橋とは、一体どんなロケーションなのだろうと、当然興味はわくわけです。

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ネットで見つけた昔の月見橋
晶子と鉄幹が見た頃の姿と思いきや、
このコンクリート構造ならば、おそらく戦後のもの? 
 

四万温泉エリアに橋は何本もあります。

果たしてどれが「月見橋」なのか、あるいは晶子たちが見た「月見橋」が今もあるものかどうか。
手元の地図でも橋の名前まで明記されたものはなかなかありません。
ネットで検索しても、昔の「月見橋」の画像は出てきましたが、現代のそれがどうなっているのかの情報は得られませんでした。

ならばまず現地へ行ってみるしかないと出かけたのですが、半信半疑で四万温泉に向かったら、温泉街の入口の案内看板にいくつかある橋の名前がきちんと明記されていました。
そこで確認した「月見橋」は、これまですでに何度も通ったことのある橋でした。




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この橋が、狭い谷間の温泉地で、山の上の月と川面の月を両方楽しめる橋なのだという。

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確かに「月見橋」
でも、危惧してた通りの現代版コンクリートの橋。
 

          それでも、確かにこの橋の下だけが、流れが穏やかになり
鏡面のようになっていました。

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写真からでもわかるように、これなら確かに月は綺麗に映りそうです。

山奥の谷間源流部のことですから、
こうした流れの緩やかな場所自体、なかなかないものです。

 


      橋に出で月を見るなり山なれば 岩屋の口に立つ心地する
                              与謝野晶子



 いつか泊まりに来て、夜、この谷間の川面に映る月を見てみたいものです。

 先に温泉に浸かり、食事もすませて軽く一杯飲んだあとにふらりと外へ出て、歩いてこの橋まで来てこの川面に映る月を見ることができたら、どんなに思い出深い旅になることでしょう。


 谷間から月が覗ける時間と、川岸の道路から川面に月が見れる時間といえば、
おそらくほんの数時間のチャンスしかないことと思われます。
 増してや一ヶ月の月の満ち欠けの周期からすれば、満月の前後の数日が勝負になるでしょうか。

 そこでふと冷静に考えると、狭い山間で満月の頃に天空に見える月というのは、午前0時ころ、真夜中です。そんな時間に月を見るということは、通常の月の出を見ることや月の出を待つこととは次元が違います。
 真夜中にわざわざ天上の月と川面に映る月を同時に見るとは、どういうことでしょうか。

 これはもしかしたら若水汲みの風習に関連した、旧暦小正月の習慣のあらわれでもあるような気がしてきました。

ちょうど読んでいた志賀勝さんの冊子「若水のために」の中に、
『江戸府内絵本風俗往来』からの引用で
「正月元日早天に、始めて若水とて井水を汲み、その水にて雑煮をととのへ福茶を煮ること、上下貧富の別なく皆同じ。この若水を汲む手桶も新調して輪飾りをかけ・・・」
と紹介されていました。

旧暦正月の習慣ということです。
新月の日に若水を汲む。

同時に旧暦では、新月の日とともに小正月の満月の日をより盛大に祝う習慣があります。
紹介されていたのは朝鮮の事例ではありますが、新年最初の十五夜の満月が井戸に御影を映すことが、水に生命を宿すというのです。

まさに中天の月が井戸に映るとは、午前0時頃、真夜中の満月が水に映りこむ=生命を宿す瞬間であるわけです。 

手がかりはまだ乏しいものですが、この狭い谷間の「月見橋」で水面の月と山の上の月を同時に見るといった真夜中に限られた条件を考えると、小正月、つまり満月のときの若水を意識した橋名なのではないかとも想像されるのです。

与謝野晶子の歌の旅に触発されてですが、私にはこのような妄想も興味深く思えてなりません。







おのが道見出しやうに月影をたのみて水の走る川かな
                               与謝野晶子





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毎度、どこの観光地でもいえることですが、こうした歌のイメージがあれば、
もう少しは周りのロケーション、景観整備に気をつかって何とかしようと思って欲しいのですが、一歩一歩、少しずつでも積み重ねていく努力に期待したいところです。



ちなみに、四万温泉と歌人との関わりでは若山牧水の四万温泉に対する酷評が、地元へ影響したことなどもよく話題にされますが、この与謝野晶子の四万温泉の旅の好印象と対にして語ることが、牧水の誤解と四万温泉の歴史的な特徴を知る上でも好材料をなすものと持谷靖子さんが明瞭に説明されているので、それもまた別の機会に書けたらと思います。
 

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