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「月夜のこころ百景」の中でもお気に入りのひとつ

他人はおそろし、やみ夜はこわい
親と月夜はいつもよい


これは子守唄として歌われているものらしいのですが、
正確な出典はわからないまま使用していました。

子守唄の中でもこの表現から想像されるように、
これは親が子に対して唄うものではなく
やや年長の子ども自身が、幼い子を背負いながらうたっているものです。

年でいえば十二、三歳といったところでしょうか。

姉が妹や弟を背負うこともあったでしょうが、
「親と月夜はいつもよい」という表現は
むしろ幼くして奉公などに他所に出された子どもが
他人の子供をあやしながら親もとに早く帰りたい、
家に帰りたいとの寂しい心持ちを吐露してうたっているものです。

きっと多くは子どもの即興で
様々なバリエーションでうたわれていたことでしょう。


この歌が広く全国に知られるようになったのは、
おそらく下の写真、柳田國男『火の昔』の中の冒頭
「やみと月夜」で取り上げられたことによるのではないでしょうか。

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本書が出たのは昭和18年
本土空襲が本格化するのは翌年末からですが、

闇と明かりの歴史を語る本書は、
灯火管制が強まる時期に、闇夜の怖さや
学童疎開が増える時期にひとしお
当時の人々に深く受け入れられたことと思います。

現在は、写真と同じ角川文庫で新装丁のものが出ています。




でも原曲の全歌詞はどうなっているのかと検索してみたら
なんと・・・・



今朝の寒さに 親なら子なら 行くな戻れと ゆてくりょに
 他人おそろし 闇夜はこわい 親と月夜は いつもよい
 おどんが死んだら 誰が泣いてくりょか 前の松山 蝉が鳴く
 蝉じゃござらぬ 妹でござる 妹泣くなよ 気にかかる
 おどんがごたってにゃ もの言うな名言うな 情けかくるな 袖ひくな
 情けかくっちゅうて 籾のぬかかけて さまの情けは かゆござる
 こんな所に なぜ来たしらぬ 親が行くなと 止めたのに
 親はどこかと 豆腐にきけば 親は畑に 豆でおる
 おどんが父さんな 桶屋でござる 朝はとんとことんとこ 輪をたたく
 ねんねした子に 香箱七つ 起きて泣く子に 石七つ
 あの子にくらし わし見て笑う わしも見てやろ 笑てやろ
 あの子偉そに 白足袋はいて 耳のうろに あかためて
 山でこわいのは さるとりいばら 里でこわいのは 守りの口
 おどんが憎けりゃ 野山で殺せ 親にそのわけ 言うて殺せ
 おどんがこの村に 一年とおれば 丸木柱に 角がたつ
 丸木柱に 角がたつよりも 早くいとまが 出ればよい
 おどんがおればこそ こん村がもむる おどんが行ったあとで 花がさす
 花は咲いても ろくな花はさかん 手足かかじる いげの花


  四浦春山の子守唄です。
全国的にうたわれている「五木の子守唄」はこの唄が原曲となっていると言われています。
(ねんねこ通信79号 より
http://komoriuta.cside.com/nenneko/nekoview.cgi?mode=V&num=82

 



「五木の子守唄」の原曲がとても深い悲しみに満ちたものと聞いてはいましたが、
この詩を見てしまうと、悲しいイメージばかりが
とても重くのしかかってきますね。

それだけに闇が深ければふかいほど、
ほのかな明かりに感じるあたたかさが際立ちます。



余談ながら「さるとりいばら」って、よく服にからみつく厄介なものですが、
そんなに怖いものなのでしょうか。