多数決の発想を優先しない地域づくりについて
100人全員、または大半に支持され理解される企画や活動は、正しいかもしれませんが、どこにでもある内容になってしまいがちで、得てして感動を呼ばないものです。行政主導企画に多くみられる傾向。
それは「花と緑のまちづくり」とか「ふれあい交流館」といった表現になってしまうものです。
これは、量販型で右肩上がりの時代には通用したやり方。
ここから飛び出したアイデアや活動は、公的機関がからむとなかなか承認されにくいものです。
かたや100人のうち数人にしか支持されない、理解されない活動。
そらはたとえ少数派であっても、また多数に理解されないものであっても、数人の理解者は、感動を条件に遠くからでもやって来ます。
100人のうち1人しかいないようなファンが全国、百カ所から集まれば、100人の市場をつくりだします。
それが形になり出すと、やがて残りの99人も寄ってくる。
多くの場合、こうしたことのほとんどは、
行政がらみではなく、民間で個人がリスクを背負ってやる方が 結果を出しやすいものです。
なかば、そのほうが正しい選択なのではないかと思っています。
でも、この尖ったものは、そのまま多数に理解されなくても、
どれだけ「許容」してもらえるかが鍵だと思います。
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