1、月夜野妄想倶楽部が考える50年後の「教育」
今の学校教育にいろいろと疑問を感じている人も多いかもしれませんが、ではどのような教育の姿であれば良いのか、私たちは将来の具体的ビジョンについてはあまり聞くことがありません。
不登校の問題や教育格差の拡大、なかなか変えられない受験特殊技能教育の弊害や国際競争力の低下、等々。
現場の先生方も親たちも、今の課題に追われるのに精一杯で、将来のあるべき姿までは考える余裕がないばかりか、考えてもそれを実現したり変えたりする権限がないからと、すぐにあきらめてしまっているようにも見えます。
では、私たちが、何の権限も保証もないけれど、理想として考えられる将来の教育の姿がどのようなものであるのか、そんなの妄想にしかすぎないとバカにされようが、まずは想像力を働かせて考えるだけ考えてみることにしましょう。
一人でみる夢はただの夢にしかすぎないが、みんなで見る夢は現実になる。(ジョン・レノン)
まず環境の変化で一番顕著な影響を及ぼすのは、ネット環境の普及浸透であると思います。
日常のあらゆる場でネットへのアクセスが可能になることはすでに確実になっていますが、知識・記憶学習の領域が教育に占める割合は、相当減るものと思われます。
もちろん、どんなにネットですぐに調べられるとはいえ、個人の頭の中により多くの情報が入っていることは、どんなコンピューターにも勝る効果があります。
ですが、その情報とは、今以上に加速的に膨大なものになるので、哲学や論理学的な問題の整理の仕方は重要性を増すかもしれませんが、従来のような誰もが同じ教科書で知識を習得する必要性は確実に薄れていくことが予想されます。
するとその先に考えられるのは、
①、従来の学校に近いものは小学校のみで、そこでは読み書き・計算と体づくり・掃除力が徹底される。
②、ネット環境が日常生活に浸透しているため知識習得型の教育は圧倒的に減る。
自動翻訳技術なども浸透するため、クローバル化時代だからといって英語教育などを優先する意味が
なくなり、基本の国語教育がより徹底されるようになる。
③、中学以降は自主教育が中心。子どもが興味を持ったことがらを無限に学べる環境が整う。
教師の主な役割りは、既存の知識を教えることではなく、子どもの興味関心を育て引き出す
コーディネーターとしての面が重視されるようになる。
④、「学歴」には意味がなくなっているので、個人ごとの「学習歴」で人物をみるようになる。
⑤、個人ごとの学習機会が拡大すると同時に、異質な者同士が交流し学び合う意義も増大する。
民俗や習慣の差、体力や知識の差のある者が同じ空間で学ぶ効果が認知される。
⑥、大学や専門学校に該当する分野が、社会人教育と連続的な過程になる。
働きながら学ぶ学生の比率が青年期から社会人まで 、圧倒的に多くなる。
⑦、既存の学校よりも、図書館やバーチャル空間に学びの場が広がる。
教科書の依存度が圧倒的に低くなるので、あらゆる空間で得られる「本の海」に埋もれた学びの環境が
中心になる。
⑧、資格を持った教師以外の様々な分野で活躍する専門家が多数、講師として登録・活用される。
⑨、教育の完全無料化の方が、社会のためにはトータルコストが安いと立証される。
⑩、子どもが育ち成長する自然環境が重視され、都会の学校であっても森が不可欠の空間となる。
森の学校、山の学校、川の学校、海の学校、田んぼの学校、等々。
⑪、学びの場が、地域のあらゆる場所で保証されているので、不登校はまったくハンディではなくなる。
⑫、小学校の読み書き計算、体づくり以外の教育課程は、これまでの中学校であろうが、高校であろうが、
大学であろうが、社会人になってであろうが、いつでもどの段階のカリキュラムでも、学ぶ機会を
得られる。大半の授業は録画され、誰もがいつでも見れる。
などなど、思いつくことをあげましたが、まだ気づいたことが出次第、書き足していきます。
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