私は、毎日渋川市まで、月夜野町から40分程度の道のりを車で通勤していますが、その途上で犬、猫の交通事故死体を見ない日はないといってよいほどよく見ます。
そして、犬、猫の事故以上によく見るのが、タヌキの交通事故死です。
なぜか、タヌキにかぎって、私にはその死顔が、何度見ても小学生の子供が轢かれたかのような顔に見えてならないのです。
その顔は、まるで
「どうしてボクが・・・・」
と言っているがごとく。
もちろんその目撃したタヌキは母親ダヌキかもしれないし、父親ダヌキかもしれません。
いずれにしても、その多くの場合、犬・猫の飼い主の悲しみとは異なった、ある日突然、待てども待てども帰って来なくなった親ダヌキをただ泣きながら待つ、子ダヌキら家族の姿が目に浮かぶのです。
一般に、タヌキとアナグマを総称してムジナと言っていますが、地方や時代によって呼び方はバラバラなのが実態。
山で出合ったのがタヌキなのか、アナグマなのか、ハクビシンなのか、相手がじっとしていてくれるわけではないので、よく間違えるといいます。これに実際に日本の山で出会うことはあまりないでしょうが、アライグマも加えたらもっとややこしい。
ところが、よく聞けばこの三者、とても「同じ穴のムジナ」とは言えない別種であるばかりか、お互い仲も決して良くない。
そもそもタヌキはイヌ科、
アナグマはイタチ科、
ハクビシンはジャコウネコ科。
足の指の数を比べるとタヌキは4本、ハクビシンは5本あるそうです。アナグマは前足が太く鋭い爪があるのが特徴。
アナグマはタヌキに比べると耳が小さく、鼻が大きい。
狸穴(マミアナ)という地名をよく聞きますが、穴を中心に想像すれば、狸よりアナグマの領分ということになるが、実態はそうとも思えない。
どこをとってもわかりにくい仲間たちである。
つまるところ、やっぱりみんな「ムジナ」なのか?
もう少し学問的な考察で、池田啓氏の研究によると、そもそも中国から日本に伝わった経緯や中国の「狸」という字があてられる動物などから、今の「狸」がそもそものタヌキのイメージであったのではないらしいことがわかる。
池田氏が現代中国各地の狸の字のつくものを摘出したものをみると、
ジャコウネコ科のインドオオジャコウネコが、九節狸
インドジャコウネコが、香狸
ハクビシンが、花面狸
リンサングが、斑林狸
パームシベットが、花果狸
インドマングースが、日狸
ネコ科では、アジアゴールデンキャットが、狸豹
ベンガルヤマネコが、狸子
イタチ科は、イタチアナグマが、猪子狸
キエリテンが、黄-狸
イヌ科で、キツネが、狐狸
リス科でクロオオリスが、藤狸
ムササビ科のハイナンムササビが、飛狸
といった感じで、狸という字もかなり広義に使われている。
ところが、肝心な日本でいうタヌキに中国では、「狢」の字をあてている。
やはり、狸は本来、猫系の生き物に対する表現であったようです。
中国から日本に「狸」という字が伝わったときは、「ヤマネコ」の意味であったであろうと言われており、日本に当時ヤマネコがいなかったため、それに類する動物が想像された経緯があるのではないかとのことです。
やはり、こいつは名前が日本に来たときから、そもそも怪しいヤツだったのです。
群馬といえば、誰しも文福茶釜の伝説で有名な館林の茂林寺の関係でタヌキとの深い縁を想像しますが、上州が有名なタヌキの産地であることを知っている方は、あまりいないのではないでしょうか。
渓流釣りの好きな方にはよく知られた、佐藤垢石が群馬出身であることまでは知りませんでしたが、その佐藤垢石が『完本 たぬき汁』(つり人ノベルス)という本の中で以下のようなことを書いています。
私の故郷上州は、有名な狸の産地である。
この事実は、館林の茂林寺にある文福茶釜の伝説などによったものではなく、前橋市一毛町の毛皮商坂本屋の取引高の統計によるのである。
坂本屋の話によると、近くは秩父山から甲州路。東は出羽奥州、北は越中越後遠くは飛騨の山々から、中国辺に至る二、三百年来手広く取引をなし、山の猟師が熊、鹿、狐、カモシカ、猿、山猫、山犬などの毛皮を携えて遥々前橋まで集まってきたが、明治になってからはこれを神戸の商館へ持ち込んで外国へ輸出している。
しかし、奥利根の上越国境の山から出てくる猟人が毎年、最も多く狸の皮を持ってくるところを見ると、やはり上州が狸の名産地であると思うと言うのである。なるほど、坂本商店の倉庫へ入ってみると、狸の毛皮が山のようにあった。
この話は、単純に上州の猟師が狸を多く獲っていたことと、上州に狸が多いかどうかは別の問題であり、更にここで名産地としているのは流通量の多さだけであり、良質の毛皮であるとかの話ではありません。でも、それら一切をひっくるめて他の地域と比較したならば、やはり、上州が狸の有名な産地であると宣言しても、あながち間違っているとはいえないことでしょう。
ただ、毛皮が今に比べたらはるかに安い時代であったにもかかわらず、コツコツと百姓仕事をするようりはいい仕事であったといいますが、農業に適した土地の少ない群馬ならではの環境によるところもあったと思います。
また、もう一つの契機として日露戦争が軍用の毛皮需要を一気に増やし、にわか猟師の増大を伴ってマタギなどの山のテトリーを変えていったことが、熊谷達也『邂逅の森』に出ています。
軍用の毛皮需要が増えるまでは、狸はもっぱら筆用の毛として、毛皮はふいごの口として重宝されていました。狸の毛足は筆に使えるほど長かっただろうかと思いましたが、兎の毛が白い筆用に使われていたことを考えれば、容易に想像もつく。
【余談】
「たぬき汁」は文字どおり狸が入った鍋汁のことですが、「たぬきそば」は、ご存知のように狸が入っているわけではありません。
これは「月見そば」に対する表現で、月見のようにタマゴが入っていないから、タマゴの「タ」抜きのそばということらしい。
ところが、この手の話はいつもいろいろあって、あまりどれが本当の話かわからないことが多い。同じそばでよくある「二八そば」が、なぜ二八かというと、二八(ニハチ ジュウロク)、十六文で買えたからとか、そば粉と小麦粉の比率が二対八であるからとか、どっちが本当かちっともわからない。
真実を突き止めることよりも、言葉遊びをおおいに楽しめばよいだけのこと。
で、先の本の肝心な「たぬき汁」は、よく聞くことばで料理にもありそうな響きですが、通常、狐料理が無いのと同じくらい、素人料理ではとても臭くて食べられない代物。。
これが本書の佐藤垢石の文章で、まさにタヌキに食わされたがごとく、逸品のタヌキ料理に出会うまでの傑作話が描かれています。
群馬ツチノコ研究会で紹介している山本素石もそうですが、渓流釣りの人々には、海釣り人の世界では考えられないクスッとした笑いを誘う話がうまい人が多い。
料理屋のメニューに出てくる美味い「たぬき汁」は、こんにゃくと野菜を一緒にごま油でいため、味噌で煮た汁で、タヌキのかけらも入っていない。
(以上、「かみつけの国 本のテーマ館」より加筆転載) |
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