地域の独自性は歴史や風土・自然、文化、産業、地名などさまざまな要素によって現れますが、なかでも私たちの暮らす「月夜野」という地名がもつ魅力には際立ったものがあります。
 それは、地元の住民よりも他地域の人たちから多くの憧れとしてみられています。

   月にまつわる地名は全国至るところにあります。でも「月夜野」という地名のもつことばの響きやイメージほど、格別の印象をよびおこす地名はありません。

 詩人の谷川雁はこう言ってます。
   「地名とは地霊の名刺ですからね」


 以下に、志賀勝『月曼荼羅』(月と太陽の暦制作室 発行)に紹介されている全国の月にまつわる地名をあげてみます。
   
          月輪(京都)、月ヶ瀬(奈良)、三ヶ月(松戸市)、月夜野(群馬県)、
          十六夜(島根県)、月見町(富山市、新潟市)、月見(福井市)、
          月町(新潟市)、月潟村(新潟県)、上秋月(福岡県甘木市)、
          月丘町(山口県徳山市)、月島(東京都)、月見ヶ丘(宮崎市)、
          月岡(三条市)、月崎(松前郡)、つきみ野(神奈川県大和市)、
          月浦(水俣市)、三日月町(兵庫県と佐賀県)、名月(多賀城市)、
          月出(熊本市)、愛知県・静岡県境に月という村が多数ある。

    山には月山(山形県と島根県)、月夜見山(奥多摩)、半月山(栃木県日光)、
    二十六夜山(山梨県、静岡県)、月の出峠(滋賀県)、三日月山(小笠原父島)、
    月待ちの滝(茨城県太子町)、月光川(秋田県)、
    大津市に月輪町があるがこれは月輪の池に由来、京都の嵐山に渡月橋があり、
    宇治川に観月橋がある。指月(京都府)、指月山(萩市)


 みられるように月にまつわる地名はたしかにたくさんありますが、「月夜野」のような土地の観月ムードをかもすような地名はそれほど多くありません。




 平成の大合併で旧月夜野町は、みなかみ町となり、行政単位としての月夜野町はなくなりました。
 そのときの月夜野町民の失望感は、それは大変なものでした。
 ところが意外にも、その後もいたるところに「月夜野」の地名は使われ生きつづけています。
 
 全国の市町村合併にも共通していることですが、行政の無駄をはぶき効率化するための合併問題と歴史風土にかかわる地名の問題は、別の問題です。
 現に合併後も旧地名を地元の人びとが使うことを妨げないと明言している地域も少なくありません。 合併後のみなかみ町にてとっても、町を構成するそれぞれの地域の特色を打ち出すことは、今後とも重要であると考えます。

    そしてなによりも「月夜野」という地名を、地域のかけがえのない資産として活かしていく知恵をより多くの人たちと築いていきたいものです。

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 月夜野地域で月夜野という地名とともに月をテーマにする意義と視点を考えてみると、以下のようなことが思い浮かびます。

1、「月夜野」がもつ観月に恵まれた地形
      (1)、東西に迫る小高い山越しの月の魅力(三峰山、大峰山、見城山)
      (2)、町明かりを隠す河岸段丘
      (3)、利根川を北上するほどに変化する景観
      (4)、古城跡など複数のすぐれた観月スポット
      (5)、誰もがあこがれる地名、月夜野。

2、暦(旧暦)にあらわされた自然のリズムと生命 
         ・ 1年を365日とすること以外は合理性・科学性のない太陽暦
         ・ 月暦(旧暦)こそ暦の真髄
         ・ 地域の多くの行事は、旧暦でこそ意味がある。

3、月が担ってきた心の表現の豊かさ。
           ・「花鳥風月」「雪月花」   ~ 日本的な文化の源~
           ・ 月夜野にかかわる三十六歌仙の二人
           ・ 太陽(アマテラス)偏重への疑問

4、一日の半分を占める「夜」の時間の復権
           ・ 人口照明に煌煌と照らされた夜の弊害
           ・ テレビに支配され固有性を喪失した暮らし
           ・ 夜こそ「創造」の時間、(昼は消費の時間)
           ・ 月のような「仄かな明かり」こそ夜の魅力

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 ここにあげたようなことがらは、実利や効率が優先される現代の暮らしからは、どれも気にしなければそれでも済んでしまうようなことばかりですが、それだけにここにあげたようなことがらは現代にこそ大切にする意義のあることばかりです。

 それは、薄紙を一枚一枚重ねていくような活動です。

 最近、この「月夜野」という地名に惹かれてわざわざ遠くからやってきて、後閑駅に降り立った人の話しを聞きました。
 その人はとても若い方でしたが、駅周辺を少し歩いただけで期待するような風景がない日本中どこにでもあるさびれた田舎の景観であることに失望して、すぐに帰ってしまったそうです。
 これもシビアな現実です。

 すばらしい資産を持っていながら、まだそれはどこをとってもほとんど磨かれていません。

 これから皆さんとそれら薄紙の一枚一枚を大切に開きながら、時間をかけて丁寧に磨き積み重ねていけたらと思っています。