「月夜のタヌキ」プロジェクト

物語のいでき始めのおや 〜月夜野アーカイブ〜

「物語のいでき始めのおや」とは、源氏物語のなかにでてくる竹取物語のことを指したことばです。わたしたちは、「月(ツキ)」と「運」だけで勝負できるまち月夜野から、たくさんの物語の生まれるこの地の風土を発見し、また育てていくことを目指しています。 (「みなかみ〈月〉の会」と「月夜のタヌキ会議」による共同ブログです)

昨夜から、日本各地でものすごい強風が吹き荒れています。

風だけは、まるで台風がやってきたかのようです。
おそらくリンゴ農家も大慌てなのではないかと思います。


でも、もしも月がなかったなら・・・・

とてもこんなことでは済まないと思います。


月のような大きな衛星がある惑星は、地球以外には滅多にありません。
少なくとも、太陽系にある惑星の大半は、直径は数キロ程度の小さな衛星が周囲をまわっているものがほとんどです。
したがって、惑星が衛星の引力の影響を受けることなど、ほとんどないのが普通です。

すると当然、自転の速度が早くなり、もしもガスや大気がある惑星であれば、
土星や木星のように、ほぼ一直線の横縞が走った姿になるのが普通の惑星の姿です。

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つまり、木星や土星のようなきれいな横縞になるということは、
その惑星の地上は、ものすごいガスなどの気体が一方向で暴風となって吹き荒れているということです。

地球のような、のどかな雲のマダラ模様など、普通の惑星ではありえないのです。

もちろん、地球でも台風等の渦ができた時は大変な暴風が吹き荒れますが、
通常の惑星の場合は、常に東西の自転軸横方向に暴風が吹き続けているのが普通なわけです。

青く美しい地球が生物にとって住みやすいのは、何も空気があるだけではなく、
自転速度が適度にのろいこともとても大きな要因になっているわけです。


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これも、ひとえに地球が月という異常に大きな衛星をもっているおかげです。


月なんてなくても、短歌の題材がひとつ減る程度と思われるかもしれませんが、
どれだけ月が地球の生命の誕生と持続に大きな役割りを果たしているか、
ニール・F・カミンズの本をたよりに、これから何度かにわたって考えてみたいと思います。


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ニール・F・カミンズ著『もしも月がなかったら』東京書籍
    同      『もしも月が2つあったなら』東京書籍

 

今日は十三夜です。



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昨日、照葉峡で家内が見つけてきた草木の紅葉でお供え。


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外は昨夜から強い風が吹き続けています。

月にかかる雲も瞬く間に吹き飛んでいきます。

今日の谷川岳、
山頂付近が白く見えるのは光の具合かと思いましたが、雪でした。

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10月24日(土)上牧カルチャーセンターにて
300名以上の皆さんに参加いただき行われました。


「みなcoming体操」の様子です。



会場では、以下のようなことが盛大に行われました。

1、子育て支援ネットワーク各団体の活動紹介をパネル展示

2、子育て支援ネットワーク各団体の活動や遊びを体験できるブースの開放
    (子育て広場・読み聞かせ・バルーンアートほか)

3、講師を招いての親子ふれあい体操やリズム遊びの体験

4、ぐんまちゃん及びつっきー(ホタルぼうや)の出演

5、スタンプラリーの実施やアンケートの配布

6、みなかみ体操やダンスパフォーマンス



参加ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。
スタッフのみなさん 、お疲れさまでした。

 最近、渋川で知り合った宮司さんの奥さんの紹介で古峯神社へ行ってきましたが、この神社の講がなんと月夜野にもあったということを知りました。

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 古峯(ふるみね)神社のことを、その宮司さんの奥さんは古峯(こぶ)神社と言ってましたが、一般の神社の案内では、古峯ヶ原のことは(こぶがはら)と読んでますが古峯神社は(ふるみねじんじゃ)で通っています。

 様々な説明をみるとどうも、勝道上人ゆかりの地である古峯ヶ原(こぶがはら)が本来中心の地であることから、歴史をたどると(こぶじんじゃ)と呼ぶのが自然であるのかもしれません。

 とすると月夜野にあった古峯原講は、おそらく(ふるみねはらこう)ではなく(こぶはらこう)と言われていたのでしょう。(勝手な推測ですが・・・)

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 地域にある講には、伊勢講、御嶽講、修成講、十二講、太子講、夷講、大黒講、三峰講・・・等々、実にたくさんのものがありますが、それらのなかでもこの古峯原講は、とても盛んなものだったようです。

 『古馬牧村史』には、
「講員でなくてとも、家屋を新築したり、屋根の葺替をした場合には、この社に参詣して火防を祈願するものが多い。戦前まで数人が団体で代参する風習が継続していたようである。」
とあります。

 そして次のような面白い様子が書かれています。

「本史委員小野高吉ほか1名は、十九歳のとき、血気さかんな若者についてこの神社に参詣したことがある。早朝三時出発、徒歩で勢多郡花輪に出て足尾をまわり、その日の夜十時頃古峯原神社に到着、その日うちに火防の祈祷をすませ、翌朝四時には帰途につくという強行軍のため、食事も小用も歩きながら・・・・いやどうも大変な参詣であったと同氏は述懐されていた。」




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もう少し、いまの実態についてまわりの人たちに聞いてみたいと思います。

ご近所で、もし新築や改築の話があったら、古峯原講の再現も可能かもしれません。



勝道上人のことも、ずっと前から調べなくてはと思っていたので、ふたたび意欲をかき立てるいい刺激になりました。


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参照
尊崇の神域 古峯ヶ原 古峯神社 https://osusumetochigi.wordpress.com/2012/04/30/尊祟の神域%E3%80%80古峰ヶ原%E3%80%80古峰神社/

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