「月夜のタヌキ」プロジェクト

物語のいでき始めのおや 〜月夜野アーカイブ〜

「物語のいでき始めのおや」とは、源氏物語のなかにでてくる竹取物語のことを指したことばです。わたしたちは、「月(ツキ)」と「運」だけで勝負できるまち月夜野から、たくさんの物語の生まれるこの地の風土を発見し、また育てていくことを目指しています。 (「みなかみ〈月〉の会」と「月夜のタヌキ会議」による共同ブログです)

私の住んでいる月夜野というまちで、太陽やアマテラス偏重の世界観に対する、月の復権、旧暦の復権、ツクヨミの神の復権、夜の復権などいろいろ考えているのですが、その歴史的な意義には、とても深いものがあると思っています。ところが、なかなかそれを完結にうまく表現できません。


何度となく、考えていること、思うことを書き続けて練り込んでいくしかありません。
以下は、そうした作業のひとつです。
未整理な文章、ご容赦ください。 

 

 

これまでの「生産と消費」にばかり流される昼の時間をこれ以上増やすのは、「酸化」を促すプロセスです。
カラダによくありません。

この「生産と消費」に偏った世界観が今までの常識でした。
それは多様な価値軸を否定して、太陽=アマテラスを頂点にしてカミや人に序列をつけたがる側の人たちの世界観です。

天皇家に対する藤原氏のように、成り上がりの側が必要とする権威付けの論理です。
勝者と敗者をわけたがる人たちの世界です。 

 

かたや「創造と育自」を軸に夜の時間を重視する私たちの活動は「還元」のプロセスです。
働いても疲れない弱アルカリ体質の世界です。

それは、夜=月=ツクヨミの復権とともに、たくさんのモノサシを使い分ける世界なので、所属にとらわれない個人のネットワーク型の社会です。


わたしたちは、単に月=ツクヨミだけの復権を願ってるのではありません。
考えているのは、カミや人に序列をつけない「八百万神」「天円地方」の思想です。
権威を必要としない側の論理です。 

「生産と消費」が悪いと言っているのではなくて、「生産と消費」以外の時間を限りなく押しやって排除してくような従来の一元的価値観が異常なのではないかという立場です。

夜は暗いから、ただ電気をつけて昼のように明るくすることが解決なのだとは思わない立場です。

夜には夜の魅力と、夜ならではの役割りがあるのだという見方なのです。

古来、夜こそが、さらには満月の夜こそが、大事な祈りや行事のときでした。

さらには、夜こそが子づくりを中心にした生命創造の時間でもあります。

精神的な営みの多くは、夜や早朝にこそパワーを発揮します。

つまり太陽の出ていないときです。

売れない時代に今なお「生産と消費」にしがみつく人々は、この夜の時間の創造性や生産性を理解しません。 

生産性は昼の拡大でしか実現できないものと思い込んでいます。


「生産と消費」が中心でなくなったら、どうやって食っていくんだとも言われそうですが、「創造と育自」を重視する人の方が自分を育てる生産手段を真剣に求めるので、結果的にこのほうが市場は拡大します。


従来の商品をいかにして売るかではなく、創造にこそ軸足をおくので、無理な営業には期待しません。


もちろんそれは量販型ではない市場になりますが。

「◯◯が売れないから市場の拡大をどうしたら出来るか」のこれまでの対策では、太刀打ちできない社会がすでにはじまっています。

国や業界や会社や組織に何か求めるのではなく「育自」=「自分を育ててプロデュースすること」抜きには、何も解決できないことがようやく認知されだしてきました。

事実わたしの業界でも、商品としての書店店頭の本をより多く消費してくれるような読者家よりも、
自分の専門を持ちその必用に応じて読書を手段としてしている人の方が、
結果的に、自称読書家よりは多く本を読んでいるものです。 

また、多くの学校へ行き、多くの資格を取得している人よりも、
人生に迷い、その都度突破口を求めて試行錯誤を重ねている人の方が
多くのことを勉強しているものです。

 

人口減少時代に入ってモノが売れない時代はこれからもずっと続くと思いますが、

「生産と消費」の拡大を願うのではなく、

「創造と育自」の時代に入っていくということが想像できれば、

市場の縮小自体はそれほど悲観することではありません。

むしろ人口6,000から7,000万人くらいの超大国以外の先進国標準サイズに日本がなること、

高度経済成長期以前の国土の姿にまで戻して、テクノロジーや知恵を行かせる社会になることは、

とてもすばらしいことであると思えるのではないでしょうか。 

 

 

先に他の場所で、年末の掃除の意義について書きましたが、

掃除を自分ですることの意義は、この「育自」、「自分を育てること」
育ててもらう「育児」が終わってから
さらに、教えてもらう「学校」が終わってから、
本来は、生涯続けなければならないはずの大事なプロセスに気づけることにあります。 

わたしは、それはどんなすぐれた専門学校や大学より、
生涯にわたって自分で組み立て続ける「読書」こそが、
一番の「育自」になるものであると確信してます。 

なにか現状打開のいい考えありますか?と人に尋ねるばかりの生き方ではなく、

その都度、その都度、自分で探し求めているプロセスそのものが、

幸せの時間であり、自己実現の瞬間であり、

さらにはそれが新しい市場を生んでいる瞬間なのだと思います。 

 

それを太陽やアマテラス偏重の世界観に対する、

月の復権、

旧暦の復権、

ツクヨミの神の復権、

夜の復権

を通じて立証していきたいのです。

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(以上は、brog「かみつけ岩坊の数奇、隙、大好き」の「『生産と消費』偏重の時代から『創造と育自』の時代へ」を改題し転載したものです。) 

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谷川岳から雪が飛んでくるほどの陽気ですが、月はしっかり出てました。


この季節は新酒が次々と出てきます。

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陶芸家の松尾昭典さんに、念願の盃をつくってもらいました。

ぐい呑みのカタチではなく、ふちの浅いかわらけタイプのものです。

とても良い色合いに仕上がったので、酒の味も格別。


松尾昭典 http://kamituke.web.fc2.com/page152.htmll

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この盃に月を映して呑みたいものですが、暗いところでの撮影は難しいものです。


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昨日の議論。

人口が減少するからといって、空家バンクの情報を出したり、雇用増の対策だけで問題が解決するわけではないですよね。
地域に仕事がないから、人口の流出が止まらないのだとよく言われます。
でも、企業誘致で雇用の増加を期待することが、結構リスクの多いことであると気づきだしました。

また、いまここにある産業を復活させたり、再生する力のないところで、よその何かに期待しても、強い地域は生まれないことも明らかです。

また、地域を支える道普請や堰番などの活動は、サラリーマン家庭ではなかなか出来ない場合が多いものです

かつて農業人口が8割を占めていたときのように、地域で働く自営業者、個人事業主が増えないと、年金生活者ばかりが都会から田舎に来ても、また賃労働者ばかりが増えても、地域の活力はなかなか生まれません。

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世の中の働き方が変わり始めている現象は、まだ不安定化といったマイナスの方向ばかりが目立っていますが、ひとつの会社や業種の仕事だけで生きて行くのではなく、自分が自分の生き方を組み立てるように、自分の働き方を組み立てて行く時代に少しずつ向かっているような気がします。また、そうなることを願ってます。 

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