「月夜のタヌキ」プロジェクト

物語のいでき始めのおや 〜月夜野アーカイブ〜

「物語のいでき始めのおや」とは、竹取物語のことを指した源氏物語のなかにあることばです。私たちは、「月(ツキ)」と「運」だけで勝負できるこのまち月夜野に、たくさんの物語を育てていきます。2016年、月夜野が日本百名月に登録されたことを機に、みなかみ〈月〉の会を結成しました。

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「月夜のこころ百景」の中でもお気に入りのひとつ

他人はおそろし、やみ夜はこわい
親と月夜はいつもよい


これは子守唄として歌われているものらしいのですが、
正確な出典はわからないまま使用していました。

子守唄の中でもこの表現から想像されるように、
これは親が子に対して唄うものではなく
やや年長の子ども自身が、幼い子を背負いながらうたっているものです。

年でいえば十二、三歳といったところでしょうか。

姉が妹や弟を背負うこともあったでしょうが、
「親と月夜はいつもよい」という表現は
むしろ幼くして奉公などに他所に出された子どもが
他人の子供をあやしながら親もとに早く帰りたい、
家に帰りたいとの寂しい心持ちを吐露してうたっているものです。

きっと多くは子どもの即興で
様々なバリエーションでうたわれていたことでしょう。


この歌が広く全国に知られるようになったのは、
おそらく下の写真、柳田國男『火の昔』の中の冒頭
「やみと月夜」で取り上げられたことによるのではないでしょうか。

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本書が出たのは昭和18年
本土空襲が本格化するのは翌年末からですが、

闇と明かりの歴史を語る本書は、
灯火管制が強まる時期に、闇夜の怖さや
学童疎開が増える時期にひとしお
当時の人々に深く受け入れられたことと思います。

現在は、写真と同じ角川文庫で新装丁のものが出ています。




でも原曲の全歌詞はどうなっているのかと検索してみたら
なんと・・・・



今朝の寒さに 親なら子なら 行くな戻れと ゆてくりょに
 他人おそろし 闇夜はこわい 親と月夜は いつもよい
 おどんが死んだら 誰が泣いてくりょか 前の松山 蝉が鳴く
 蝉じゃござらぬ 妹でござる 妹泣くなよ 気にかかる
 おどんがごたってにゃ もの言うな名言うな 情けかくるな 袖ひくな
 情けかくっちゅうて 籾のぬかかけて さまの情けは かゆござる
 こんな所に なぜ来たしらぬ 親が行くなと 止めたのに
 親はどこかと 豆腐にきけば 親は畑に 豆でおる
 おどんが父さんな 桶屋でござる 朝はとんとことんとこ 輪をたたく
 ねんねした子に 香箱七つ 起きて泣く子に 石七つ
 あの子にくらし わし見て笑う わしも見てやろ 笑てやろ
 あの子偉そに 白足袋はいて 耳のうろに あかためて
 山でこわいのは さるとりいばら 里でこわいのは 守りの口
 おどんが憎けりゃ 野山で殺せ 親にそのわけ 言うて殺せ
 おどんがこの村に 一年とおれば 丸木柱に 角がたつ
 丸木柱に 角がたつよりも 早くいとまが 出ればよい
 おどんがおればこそ こん村がもむる おどんが行ったあとで 花がさす
 花は咲いても ろくな花はさかん 手足かかじる いげの花


  四浦春山の子守唄です。
全国的にうたわれている「五木の子守唄」はこの唄が原曲となっていると言われています。
(ねんねこ通信79号 より
http://komoriuta.cside.com/nenneko/nekoview.cgi?mode=V&num=82

 



「五木の子守唄」の原曲がとても深い悲しみに満ちたものと聞いてはいましたが、
この詩を見てしまうと、悲しいイメージばかりが
とても重くのしかかってきますね。

それだけに闇が深ければふかいほど、
ほのかな明かりに感じるあたたかさが際立ちます。



余談ながら「さるとりいばら」って、よく服にからみつく厄介なものですが、
そんなに怖いものなのでしょうか。

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朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに

  吉野の里に 降れる白雪



                  坂上是則   百人一首 古今集一九三



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                      ふたつの耳がずいぶん尖って見えます。


西暦では11月に入り、霜月。

今朝は暦どおり田んぼには霜が降りてました。

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旧暦、月暦で今日は九月(長月)の十三夜にあたります。

中秋の名月をみたら、のちの十三夜もみないと片見月になるとされ
江戸時代ころからその習慣が広く普及しだしたようです。

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月とのかかわり自体は古来、縄文の昔からあったことと思いますが、お月見の習慣は中国から伝来し、十五夜のお月見が文献のうえであらわれるのは平安時代村上天皇の御代。

対する十三夜の習慣は日本独自のものといわれ、宇多上皇の創始ともいわれます。

その根拠とされるのが、わが月夜野の三峰神社にも所縁のある凡河内躬恒の『躬恒集』にみえる以下の記事です。


清涼殿の南のつまに、みかは水ながれいでたり。その前栽にささら河あり、延喜十九年九月十三日に賀せしめ 給ふ。題に月にのりてささら水をもてあそぶ。詩歌心にまかす。

     もも敷の大宮ながら八十島を見るここちする秋のよのつき



ほかに鎌倉時代『吾妻鏡』にも十三夜の歌会の記述などがあるようですが、現在の民間で行われるような十三夜がみられるようになったのは、江戸時代になってからのようです。

『和漢三才図会』に

 九月十三夜 按、俗八月十五夜煮芋食、称芋名月。今夜煮葵豆食、称豆名月。

とあるように、十三夜を豆名月と呼んでいます。

もともとは、豆も栗も芋も八月十五日の供物でしたが、収穫のうえでは早すぎて値が高く、十三夜に枝豆や栗を用いるようになったのではともいわれます。

また俗には、吉原の遊女たちが十五夜に来た客に対して、来月の十三夜もまた来てくれないと片見月になるので縁起がわるいと営業トークネタに使ったことが普及のきっかけになったともいわれます。


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そんな十三夜を題材にした作品としては、樋口一葉の『十三夜』が有名ですが、他に藤沢周平も短編で取り上げています。


昨年、みなかみ月の会結成記念講演会で篠笛演奏してくれた朝倉さんから、是非、この藤沢周平の作品朗読のバックで演奏したいとの話をいただき、先月のことですが、名胡桃城址で沼田市在住の真庭さんとのコラボレーションで実現することができました。


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名胡桃城址の東端、ささ郭にて、ちょうど月をバックに最高のロケーションで朗読されました。


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当初、独特の世界をもつ時代小説を屋外のオープンスペースで朗読することなど、
聞き手を引き込むのはとても難しいことと思われましたが、
真庭さん、見事に読み込んでくれました。



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「十三夜」は、この『日暮れ竹河岸』文春文庫に収録されてます。




片見月にならないよう、また名胡桃城址へ行きたいところですが、
やはりこう寒くては、そう簡単にゆっくりとおつな気分にひたるというわけにもいきません。

今年は、庭からの眺めでごめんさい。

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